この曲がりの果てに…… Ver.3.0.1 #4

Carpe Diem

「おい、おはよう!」

「おはようございます」

俺、御手洗俊雄。二十二歳。大学五年生。はい。一年、ダブりました……。大学では、これまでどおり、学業もそこそこに、演劇サークルの活動に精を出しております。

「先輩。次の公演なんですけど、台本、できてます?」

「……ご、ごめん」

「あと一ヶ月ないんですよ」

「はい……。本当に済みません……」

躓き続けてしまう道程

「マスター。こんにちは」

「んん? おお、沙織ちゃん。いらっしゃい」

会社のお昼休み。私、鈴木沙織は、同期の友人、相原茜を連れて、会社の近所にある喫茶店、マグネティックフィールドにやってきた。

「今日は、二人か」

「はい。たまには、同期二人だけで」

店の外には、Z1300も、スーパーカブもなく、どうやら、普段のメンバーはいないらしい。

「ああ。アルは仕事。設楽は、中免——普通二輪。——の免許を取りに、試験場だってよ」

この間、二段階右折で、アルさんに置いてけぼりを食らったのが、相当、悔しかったのだろうか。何にしても、今日一日で取れるとは思わないけども。

「ねえねえ、沙織。沙織の彼氏は来ないの?」

「え? 小津くん? 今日は、多分、バイトだよ」

「そっか。ちょっと残念」

「何で」

「沙織とのことを、根掘り葉掘り聞きたかったのに」

「やめて」

オリジナルブレンドと軽食を頼んだ私達は、注文が揃うまで、他愛もない話をしながら、時間を潰す。

「そういう茜は、誰かいないの? 彼氏でも、今、気になってる人でも」

「まあ、いないことは、ないよ」

「ほほう? どんな人?」

「同じ大学だった人でね。向こうは、今年も大学生。単位を落としてダブり。演劇サークルのね、部長みたいなことをやってるんだけど、かと思うと、軽音楽部に遊びに行ってて、そっちもそっちのけだったり」

「定まらない人だ」

「そうなの。大学の二年くらいまでは、バンドをやってた人らしいんだけどね」

「定まらないなあ……」

「そうなんだよ……」

「だけど、未だに、軽音楽部に遊びに行って入り浸っちゃうところを見ると、バンドに未練でもあるのかな?」

「どうだろう。でも、以前に、なんか、周りのバンドが凄すぎて、太刀打ち出来なくて、諦めた、とか言ってたな……」

「へえ?」

「三多摩と埼玉には『ニッケル・アイゼン』、二十三区と神奈川には『スウェッティング・バレッツ』って凄いバンドがいて、敵わないと、これは駄目だと思って、パンク寄りに方向性を変えたら、今度は、『マーヴェリック・ミーアキャット』とかいう、高校生(当時)の女の子三人組のパンクバンドに、完全に食われた、とかいって……」

私とマスターは、思わず、同時に、顔を逸らした。

「あれ? ど、どうしたの?」

「あ、いや、何でも……。ね、マスター」

「あ、ああ、なんでもない……。じゃ、じゃあ、あれか、その彼と付き合って……」

「いやいやいやいや。つ……、まだ、付き合ってるとか、そういうんじゃないですよ……」

「そうなの? ぼんやりと気になってる、とか?」

「うん……」

定まらないアイツ

「御手洗先輩。台本、書かなくていいんすか?」

「ええ? ああ……、だ、大丈夫……」

軽音楽サークルの部室。俺、御手洗は、演劇サークルの月例公演の台本も書かず、軽音の奴らと遊んでいた。仮に、真面目に書く気があっても、あんな、針のむしろみたいな環境で書けるとは、どうしても思えない……。

「大丈夫って……。演劇研究会の奴ら、カンカンでしたよ?」

「……ま、マジで?」

「定期公演に間に合わなかったら、除名するとか……」

「ちょ……、え、じょ、除名? 除名って、どういうこと……?」

「そんなん、演劇研究会から強制的に除籍、ってことに決まってるじゃないっすか」

「ウソぉ!」

「ウソちゃいますよ。ですから、本腰入れて書かないと……」

「そ、そだね……」

クソッ。軽音の奴らにまで、こんな話を流してるとは……。結構、マジな段階まで来てるってことか……。まあ、いいか……。こうなったら、素直に、書けませんって宣言して、クビになっちまうか。どっちにしたって、卒業しなきゃなんないし、就活だってあるしな。今年は……。

覚悟を決めて、軽音の部室を後にし、演劇研究会が練習している講堂へと向かう。いろいろ文句言われんだろうなとか、ある程度の予想をしながら、なるべく、心のダメージを少なくしようと準備をしつつ、一歩々々、講堂に近づく俺。

「御手洗先輩!」

「うわああ!」

突然、後ろから、大声で呼ばれ、肩を叩かれ、自分でも驚くくらいびっくりし、勢い良く飛び退く。

「ちょ……っ、先輩、どうしたんですか……」

振り向くと、声の主は、演劇研究会の後輩の女子だった……。

「ごめんなさい、そんな驚くと思わなくて……」

「や、だ、大丈夫……。び、びっくりしたあ……」

「あの、それより、先輩、あの、だ、台本なんですけど……」

おっと、来た。心の準備は、いまいち、整ってない……というか、驚かされたせいで、全ての準備をリセットされてしまったが、まあ、仕方ない。いい加減なことをしてきた報いだ。言おう。

「あ、あの、それなんだけどよ、ごめん、か、書けそうにない……」

「御手洗先輩、違……」

「えっと、その、じょ、除名処分とかも、受け入れるから……。だから、他の奴に頼んでくれないか……」

「え! や、ちが、御手洗先輩、あの……!」

「ごめん! じゃ!」

先輩後輩とか、そんな立場も忘れて、ただ追いやられる立場から、走って逃げた俺は、そのまま、午後の講義のことも忘れて、学校から帰った……。

校門を出た辺りで、追う者すらないことに気づき、足を止め、息を整え、虚しい気持ちになりながらも、駅に向けて、歩き出す。

俺が、あのサークルに入ったのは、二年の春、当時、仲間とやっていたロックバンドを解散させた直後の事だった。心の支えを失くし、空っぽになってしまうことくらいは想像がついていたので、何か、心の隙間を埋める手段として選んだ選択肢の一つに、演劇サークルがあった。

とにかく、自分で何かを創りだしたり、描き出したり、表現したりできるものの方がいいだろうってことで、写真部とか、美術部、それから、落研なんかも、その候補にあったのだが、たまたま、同級生で、仲の良かった女子に、演劇研究会の会員がいて、なんとなく持ちかけたら、あっさりと、仲間に入れてくれた。

最初のうちは、面白くなって、一生懸命やっていたのだが、三年になって、会長を任された頃に、なんとなく、実は満たされていない自分に、どっかで気づき始めて、音楽が恋しくなって、やはり同級生のいた、軽音楽サークルに、演劇研究会そっちのけで、入り浸る事になる。

かと言って、そこで音楽に触れるでもなく、暇そうな部員と雑談しているくらいで、特に何もせず、やはり、いい加減にやっていた。

さっき、俺を驚かした子は、その辺の事情を、最初に俺を受け入れてくれた同級生から聞いている、数少ない会員で、いろいろとフォローはしてくれていたのだが、どうにもならなかった。

「そもそも、御手洗先輩は、どうしてバンドをやめちゃったんですか?」

「ああ、それはなあ……って、うわあああ!」

「驚き過ぎですよ」

振り向くと、再び、さっきの子が、俺の背後にいた。

「心臓に悪ぃなあ、もう……」

「たはっ。ごめんなさい。……で、どうしてです?」

「んん……。お前、この辺のアマチュアバンドのこととか、詳しい?」

「いえ、あまり……」

「そっか……」

バンドの結成は、高校一年だった。クラスメイトや、中学の時からの友達と一緒に始めたバンド。俺達は、そのバンドに、『Opposition』という名前をつけた。『抵抗』とか、そういう意味合いの英単語だ。俺は、そのバンドでドラムを叩いた。

結論から言うと、Oppositionは、ずぶの初心者の集まりにしては、よくできたバンドではあったが、逆に言うと、そこ止まりだった。

結成以後の三年間、身内だけのライブやらなんやらで、地道というか、それこそ、地味な経験を積んだ俺達は、大学進学直後に、吉祥寺のライブハウスに出させてもらえることになった。その時の対バンの相手は、後に、東京アマチュアシーンの伝説とまで呼ばれることになる、ハードロック/ヘヴィーメタル系のバンド、『スウェッティング・バレッツ』。当然、敵う訳もなく、一矢報いるどころか、傷ひとつ付けられないまま、その夜を終えた。

それから半年後、今度は、埼玉は所沢、そこそこ有名なライブハウスに出られることになったが、そこでの対バンが、埼玉一速くてヤバイと評判だったスラッシュメタルバンド『ニッケル・アイゼン』だ。彼らについても、スウェッティング・バレッツ同様、俺達なんかでは、まったく歯が立たなかった。

「ふむ。なるほど。つまり、ボッコボコですね」

「ボッコボコとか、お前、傷つく(泣)」

その時、俺達は思った。彼らと同じ、ハードロック、ヘヴィーメタル路線じゃ敵わない。パンクをやろう。

「先輩……」

「分かってる。言わないで……」

しかし、それでも、当時は、いけると思った。バンド内でも、全員一致で、この方向性に同意し、約一年の時間を費やして、パンクバンドへの転身を遂げたのだが、国分寺のライブハウスで、俺達の前に立ちはだかったのが、女子高校生三人組のパンクバンド、『マーヴェリック・ミーアキャット』だった。

「やった。勝てますよ、先輩。だって、女子高生ですよ」

「そう思うだろ……?」

「……え?」

俺達も、最初は、そう思っていた。しかし、彼女らは、その名の通り『型破り』だった。メンバーは、胸元のガッツリ開いた衣装のロリ巨乳なギター兼ヴォーカル、チラリズム全開のモデル体型のベース、ヘアバンドで上げた前髪から覗くおでこが可愛いくボーイッシュなドラム。それも三者三様、全員美少女だ。もう、客なんか、それだけで、奪われたも同然である。

「それでも、所詮、色仕掛けですよ! いけます! いけますって!」

「……ははっ……」

「そ、そんな……」

しかし、その中身は、カート・コバーンの亡霊にでも憑依されたんじゃないかと思うようなイカれたギター、松井恒松のクールさとジェイソン・ニューステッドの迫力を併せ持ったような凄まじいベース、そこいらのおっさんフュージョンバンドも泣いて逃げ出すほどの技巧派ドラムの集合体で、なおかつ、硬派で社会派な歌詞を綴り、全力で吐き出す、男顔負けの、物凄いパンクをぶつけてくる連中だったわけ。

もちろん、そんなの、上回れるわけもなくて、この夜も、散々な結果に終わった……。

「そんな……。あ、あんまりだ……」

そんなわけで、ついに、見出したはずの活路を見失った俺達は、バンドを解散し、それぞれの道へ散る。俺も、何か、新しい目標を見つけないと駄目になるんじゃないかって思って、演劇研究会の門を叩いたわけなんだ……。けども、あんな中途半端で、諦められるはずないんだよ……。結果として、そのせいで、皆には、迷惑掛けちまったし、もう……、駄目だなあ、俺……。

結局、何もやりきっていないのに、満足も充足もないわけだが、俺の中では、もう、どうしょうもないのだ。

「先輩……」

壊し続けた奴ら

「ああ、一度だけ、対バン組んだことがあったなあ」

その日の夕方、再び、私、鈴木沙織と、相原茜は、マグネティックフィールドにいた。

その時には、仲良く、アルさん、小津くん、絵里ちゃんの三人が揃っていたので、茜の(彼氏未満な)友人の話を聴かせたところ、まずは、小津くんが反応を見せた。

「Oppositionつったら、あれだ。イングヴェイとか、ディープパープルとかのカヴァーをやってた、五人組の奴らで、全員、技術的には、結構、高かったし、こいつらがオリジナルのレパートリーを揃えてきたら、すげえ事になりそうだな……と、あくまで、技術面については、そう思ってた」

小津くんが、何か知っているようなので、彼の話を要約。

バンド名は、Opposition(バンドのメンバーら自身は、オーポジションと発音)。イングヴェイ・マルムスティーンやディープパープル等の、クラシカル〜ネオクラ系のカヴァーをレパートリーにしていたバンドで、オリジナル曲は無い。演奏技術のレベルは高かった。

ただし、ステージ上の振る舞いに、痛々しさがあり、その例として、MCの第一声で、いきなり、客を挑発し、怒鳴りつけるとか、楽器を持ち替える際に、床に叩きつける、放り投げるなどして、わざとぞんざいに扱うとか、あるいは、ジミヘンの真似をしてギターを燃やそうとする(ただし、オイルを掛けず、楽器の上を火で炙っただけなので、ちっとも燃えない)とか、本番中に、あからさまに、やる気のない素振りを見せるとか、また、その振る舞いのせいで、出番終了間際に、ライブハウスのスタッフに首根っこを捕まれ、強制退場させられるなど、高校生バンドの悪ふざけ以下のステージパフォーマンスで、観客をドン引きさせていたそうな。

「で、その彼は、パンクに転向して、あたしのバンドと対バンを組んだ?」

「そう、らしいんだけど……」

「……ああ、あれか。あたしも思い出したよ。パンクってよりも、どう言えばいいだろうなあ……。ボウイっぽい音に、幼稚な……っていうか、童貞臭の強い、恥ずかしい歌詞を乗せて、『会いたい』『会えない』と『ヤリたい』だけの、西野○ナを男子中学生にしたみたいなビートロックをやってた……」

もう散々だ……。でも、アルさんなら……、アルさんなら、もう少しマシな記憶があるかも知れない……!

「いやあ、僕も、思い出そうとしてはいるんだけどねえ……。『イタいバンド』なんてのも、嫌ってほど見てるんでねえ、それだけでは、どうも、思い出せない」

「ええ……?」

「小津。そのバンド、楽器とか、なんか、見た目の特徴とかないのか?」

「特徴……? そう、あれだ、えっと、ギターの奴が、フェルナンデスの布袋モデルで、ドラムが、二十六インチのツーバスに、ロートタム四発の、コージー・パウエルなんだか、高橋まことなんだか、いまいち曖昧な……」

「ああ! 思い出した! あの、チグハグなバンドか! で、あれだ! ベースがスタインバーガーのヘッドレスの奴で、ヴォーカルがマッシュルームヘアで、キーボードがヒッピーみたいな!」

「それ!」

さ、定まらないなあ……。

「ああ、ああ、ああ! 思い出したぞ! いや、吉祥寺に来た時には、もっと酷かったけどな!」

酷かったなら、尚更、茜の前で言うのはやめてあげて! そう願うも虚しく、アルさんは、その酷さ加減を、克明に語りだす。

「あの晩は、向こうがオープニングアクトで、リハーサルは、確か、普通に終わったんだ。で、本番さ。小津は知らんかな。吉祥寺の鹿野園ってライブハウスは、控え室とステージが隣あってて、ドア一枚で繋がってるわけ。そんでさ、他のメンバーは続々出ていくんだけど、ヴォーカルのやつが、何かしらんけども、出ないのさ。何やってんだ? コイツなんて思いながら、僕らは見てたんだけどもね、そのまま、三十分も、控え室を出ないわけ」

「待て。アル。俺、読めた」

「だろ。どうやら、彼らは、ガンズ・アンド・ローゼズの真似をしたかったんだ」

「痛い、痛い、痛い!」

「それで、気が済んで、やっと出てったと思ったら、もうヤル気のない感じで、ステージに上がってってだ、やる気のない感じで歌い出してねえ、三曲ぐらい歌ったら、客に向かって、怒鳴ってるわけ。MCで。お前、何なのよと。で、もう、僕らとしたら、痛々しすぎて、モニターも見たくないもんで、壁越しに聴こえる音しか聞いてないんだけどもさ、何だい、その、楽器を床に落とす音が聞こえたりねえ、後で聞いたら、客席に向かって、ギターを投げつけたらしいんだな」

「もう、ただただ頭のオカシイバンドじゃん。そんなの……」

「したっけ、お客さんもさ、いい加減、バカバカしくなったんだろうな、ぞろぞろ、ぞろぞろ、帰り始めてしまってさ、こっそり、客席の方を覗いたら、三百は入ってた客席が、空っぽになっててね。で、うちのメンバーが、これはいかんと、帰るお客さんを何人か呼び止めて聞いたら、うちのバンドのライブを観に、一時間くらいあとで戻ってきますってのと、一方で、Oppositionの連中の知り合いで、チケットをもらって観に来たけど、あれを観に来た自分が恥ずかしくなったっつって、帰った連中がいて、まあ、そりゃあ、複雑だったよ」

「身内に見捨てられるとか、随分、レアな才能じゃない……」

「もう天才さ。そういう意味ではな。それから、少しの間、そのまま、小津が散々言ってたような調子で、少しの間、やってたんだけど、ライブハウスの支配人が、そもそも、初っ端のアホなパフォーマンスのせいで、三十分押してるから、っつって、ステージ中断させて、追い出してくれてさ」

茜は、頭を抑え、項垂れ、小刻みに震え、その口からは、小さく「イタいよう……。イタいよう、お母さん……」と、悲痛な痛みを訴える。

「だから、何ちゅうか、あれだな。僕らがコテンパンにしたっつうか、むしろ、向こうが自爆した、みたいに捉えてもらうほうが、正確なんじゃないのかな」

「だな……。俺ら、これ以上、何も言えねえわ……」

「これ以上言ったら、相原さんも気の毒だよ……」

忘れ得ぬ“痛覚”〜Voice of Author?〜

「……っていう話を聞いた……」

「……」

その三日後、休日に、問題の友人、御手洗俊雄を呼び出し、二人で会った私、相原茜は、図らずも、スウェッティング・バレッツ、ニッケル・アイゼン、マーヴェリック・ミーアキャットという、三つのバンドの中心人物らから、彼の、痛々しい武勇伝を聞いたことを伝えた。

確か、彼の言い分では、『バンドとしてのクオリティが伴わなかった』せいで通用しなかった、と言っていたが、聞いてみれば、それ以前の問題だったわけで。

努力実らず、夢砕け、その反動で傷ついてるんだろうという要らない心配を、大学時代からし続けた私は、このやり場のない阿呆らしさを、彼本人にぶつけてやることにした。

「ギター炎上(笑)。楽器破壊(笑)」

「……!」

「アクセル・ローズ風に登場(笑)」

「ひぃ……!」

「『お前らみてえな、気合入ってねえ客見ると、虫唾が走るんだよ! 不感症の売春婦抱いてるみてえでな!』(笑)」

「うわああああ……!」

この反応を見るに、彼自身にとっても、当時のバンドは、黒歴史だったようで、震え、膝を抱え、耳をふさぎながら、縮こまってしまう。それにしたって、黒歴史にも程がある。三十路超えてアホなウェブ小説公開しちゃうのと、ほぼ同じくらいに恥ずかしいじゃないか。

やめて!(泣)

誰? 今の声。……ま、いいか。

「分かってるよ……! あの頃の俺達は、正直、イタかった! そのせいで、箸にも棒にもかからず、泣かず飛ばずどころか、う化すらできねえまま沈んでいったんだ!」

「つまり、君の後悔っていうのは、ただ、敵わなかったから、じゃなくて、もっとマシなバンドで勝負してれば、もっと上を狙えたはずなのに、っていう心残り」

「ああ、そうだよ! 最後の女子高生バンドにも敵わなかった夜、俺達のバンドは、大揉めしたんだ! そもそも、あんな、馬鹿馬鹿しいパフォーマンスでアピールできるわけがないんだ! 音楽で勝負しなきゃ駄目なんだって!」

「でも、メンバーには通じなかった」

「『バンドなんか思い出作り』だの、『楽しけりゃいいじゃない』だの、好き勝手言って、結局、皆、バラバラになった……。でも、あんなバンドの評判が広まったら、俺、もう、どこのバンドにも受け入れられないし……。だから、仕方なく、音楽を諦めて、他に何か探すなり、真っ当に就職するなりしようと思ったんだ……」

「けども、未練タラタラで、就職以前に、大学の単位すら取れずダブり、演劇も適当になり、軽音楽サークルで遊んでるくらいが、楽だし、何も考えずに済むから、いいかなと」

「そんなこと思ってない! 思って……ない……けど……」

「音楽以上には、本気になれなかった」

「ああ……」

諦められる人は賢い。諦められない人はバカだ。だけど、進む戻るの舵も切れずに、大海原のど真ん中で、帆を下げて、独りきりの宴会を始めてしまう人はろくでなしだ。救助の縄梯子を垂らされようとも、食料を投げ込まれようとも、何もせず、ヘラヘラ笑ってる奴は、勝手に死んでしまえばいい。

ただ、私は、せめて、どうして何もせずに漂っているのか、それを聞いてからでも、見捨てるのは遅くないと、そう思ってしまったし、今も、そう思っている。

最後に、私は、聞いた。——御手洗くんは、これから、どうしたいの?——留まるろくでなしなのか、諦められないバカなのか。後者なら、私は、喜んで、この大馬鹿者を応援してやろう。無条件に手を差し伸べてやろう。

彼は、迷わず、言った。

「もう一度、音楽がやりたい……」

よし、分かった、この大馬鹿野郎。そのために、君は、一体、どうするというのだ。聞かせてもらおう。

「……バンド……」

「ソロというわけには?」

「ドラマーがソロか? ……ない。……いや、ないな……」

そうだった。彼は、確か、ドラムを叩いていたと、以前、言っていた。

「でも、ほら、デイブ・グロールみたいに、元ドラマーだけど、ギター弾いて歌うみたいな……」

「ギターも歌も下手なんだ、俺……」

「ああ……」

ドラム売りの少女

「ドラマーはいらんかねぇ……」

「……?」

月曜日。出社してきた茜は、いつも通り、私、鈴木沙織の隣のデスクにつくと、ボソッと、何やら、売りつけにやってきた。

「ど、ドラマー、ですか?」

「そう。イキのいいのが入ってるよお」

「それってまさか、例のバンドの……」

「えっと……、その……。ははっ……」

彼女の行動の目的を測りかねている私に、彼女は、ヒソヒソと、耳元でのセールストークを続けた。

「や、その、ダメ元で言っちゃうんだけどさ」

「無理だと思います」

「せめて聞いて。せめて聞いてよぉ……。聞いてからでも遅くないよお、沙織ぃ……」

「じゃ、じゃあ、聞くよ……。どうしたの?」

彼女の話では、彼女の(彼氏未満の)友人こと、元Oppositionのドラマーだった、御手洗俊雄という人が、どうしても、もう一度、音楽をやり、ドラムを叩きたいというので、彼を受け入れてくれるバンドを探しているのだという。

さらに聞くと、その彼は、問題のバンドでのことを後悔しているので、二度とああ言う事にはならない。彼自身は、あの方向性(?)には反対だった。とのこと。

そこで、どこか、ドラムを探しているバンドがあったら、紹介してもらえないだろうか、というのが、彼女の話の大筋である。

「その話を、どうして私に?」

「沙織、アマチュアバンドとか、セミプロみたいなバンドのこと、詳しいじゃない?」

「ああ、まあ、少しは知ってるね」

「でしょ。だから、何か、無いかなあって……」

当然、皆さん、お察しの通り、私には、『ドラマーがいなくて困っているバンド』に思い当たるフシがある。というか、あのバンドしか無い。しかし、彼らは、よりにもよって、全員、茜の友人の『酷さ、痛さ』を目撃してしまったメンバーである。

「どうしても、諦められないらしいんだよ……」

困った。とても困った。……しかし、一方で、悲痛な面持ちで助けを求める友人がいる。困った挙句、私は、全ての判断を、『ドラマーがいなくて困っている』例のバンドに丸投げしてしまうことにした。アルさん、絵里ちゃん、小津くんの三人を選択し、事情を書き綴ったメールを同胞送信。

「でも、あの、この人たちに断られたら、あとは、私にも、宛はないよ……?」

「ありがとう……。ありがとう、沙織……!」

果たして、どうなることやら……。

ギタリストはカフェにいる

いや、なまら面倒だ。たった今、僕こと、アルベルトは、かの中二病バンド、Oppositionのドラマーだった男を引きとらんかという、ずぶの素人に、いきなり爆弾処理を命じられるような、恐ろしいメールを、沙織さんから受け取った。宛先から、このメールのカーボンコピーが、小津と絵里にも送られたことが分かる。このメールに至る事情は、さっぱり分からないが、ひとまず、あの二人の連絡を待ってみよう。

「いらっしゃい」

そのメールの開封と、ほぼ時を同じくして、吉祥寺のマグネティックフィールドに、一人の女性客がやってきた。別段、派手でも地味でもない、二十歳くらいの歳の頃の彼女は、普段通り、閑古鳥が鳴くどころか、もはや、閑古鳥に乗っ取られたと言っても過言ではない、この店の中を見渡し、そして、最後に目を合わせた、カウンターの中にいるマスターに、恐る恐る声を掛けた。

「あの……、このお店に、アルベルト・グロスマンさんという男性がよく来るとお聞きしたのですが……」

……僕かい? しかし、僕が声を発する前に、マスターが、僕の方を見た。目線を追った彼女の視線も、僕にたどり着く。

「あ、あ、アル、アルベルト・グロスマンさん……ですか?」

「そうだけども、君は?」

「あの、わた、私……」

後輩Aの憂鬱

「私、あの、東邦経済大学の、演劇研究会から来ました、秋坂春美と言います」

聞けば、彼女は、あのOppositionのドラムを叩いていた男の、大学の同じサークルの後輩らしい。その、後輩である彼女が、どうして、僕のもとにやってきたのか……。

「その、何のお願いとか、そういうわけでもないんですが……、ただ、あの……。私自身、会いに来たところでどうするんだって、思わないこともないんですけども……」

「まあ、話を急かす気はないよ……。君、えっと、何つったかな……、ああ、そうそう。相原茜って人を知ってるかい?」

「え? ど、どうして、茜先輩のことを……?」

「おお。知ってるんだな。その相原さんと、同じ会社に入社して仲良くなったという人から、今、君の言う、Oppositionのドラマーのことを頼まれてね」

「そっか……。やっぱり、茜先輩も気がかりだったんですね……」

「ということは、君も、その、何くんつったかな、ええ……、御手洗くんだったか、その彼の話で来たわけだな?」

「はい……」

彼女は、俯き加減で、話を続けた。

「先輩が、学業もそこそこに、かと言って、演劇にも不真面目……、いや、不真面目というか、上の空というか……。話を聞くと、うちのサークルに来る以前にやっていたバンドに、未練があるらしくて……」

「そうらしいねえ。まだ音楽をやりたいんだと」

「そうなんです……。私、抜け殻みたいな先輩を見てるのが辛くて……」

「それで、どうしていいかは分からないけど、どうしていいか分かりそうな人間に相談しようと思った?」

「はい……。先輩から、バンドを諦めた原因の、三つのバンドの名前を聞いてまして……。えっと……」

「ニッケル・アイゼン、マーヴェリック・ミーアキャット、そして、僕のいた、スウェッティング・バレッツの三バンドか」

「はい!」

「しかし、そのバンド名だけで、よくここに辿り着いたな」

「それは、うちの軽音楽サークルの皆から……」

彼女は、今日の、軽音楽サークルの部室での出来事を話し始める。

この三バンドのメンバーを探しているという彼女の話を聞いたのは、軽音楽サークルで、彼女の同級生の、仲良し二人組。大阪から上京し、その大学に入った、河野くんと藤尾くんという二人だ。


「ええと、まず、ニッケル・アイゼンは……」

「そこはあれやん、河野くん。メンバーが逮捕されて、残った小津さんも音信不通や」

「ああ、そうやった。ミーアキャットは……、ううん、分からんなあ……」

「そっか……」

「いや、でも、スウェッティング・バレッツのギターの人は知ってるよ」

「ホント?」

「うん。以前に、僕と藤尾で、その人のライブ観に行って以来、ちょくちょく仲良くしてもらってて……。ちょっと待ってな。……んん? ……あった、これや。このマッチの喫茶店。ここに、スウェッティング・バレッツってバンドでギターを弾いてた、アルベルト・グロスマンって人がおるよ」

「ホント? 怖い人だったりしない……?」

「しないよ。色んな相談にも乗ってくれるし、めっちゃオモロくて、ええ人やで」

「そうかあ? 僕、あの人、苦手やわ……」

「藤尾、何か知らんけど、目茶苦茶、嫌われとったもんな」

「そうよ。河野くんばっかりイジられて、仲良くしてもらって……」

「多分、普通にしてけば、藤尾みたいなことにはならんやろうし、行ってみたらええやん」

「何やねん! 僕も普通にしてたっちゅうねん!」

「わはははははは!」


そういうことで、彼女は、二人から、この店の在り処を聞き出し、やってきたと。……藤尾? 藤尾、藤尾……。ああ、あのいけ好かない奴か。河野くんの方は、人の良さそうなまん丸体型で、面白い奴だ。

「それで、あの、ご、ご迷惑かとは思ったんですけど……」

「いやいや。今日は、暇な日だったし、別にいいよ。それで、君としては、彼をどうしたいのよ」

「出来れば、音楽の世界に戻してあげたいです……」

「なるほどな。でも、それだと、君、あれだよ? 彼は、演劇研究会の方には来なくなるし、会える機会も減るよ?」

「いや、それは、ちょっと心残りですけど……。って会えるとか会えないとか、その……!」

「別に、隠さなくてもいいよ。好きなんだろ? その、御手洗くんのことが」

彼女は頬を赤らめながら、コクリと頷き、出された珈琲を、何も入れずにかき混ぜる。それ以上のことは、僕の手に負える範疇にないので、勝手に、話を本題に戻す。

「彼らバンドのステージパフォーマンスについては、まるでいい記憶がないけどもね、ドラムの演奏自体は良かったってことは、よく覚えてるんだ」

「ホントですか?」

「うん。まあ、逆に言うと、にもかかわらず、それをチャラにしてしまうどころか、チャラにした上に借金が積み上がって、バンドの運営が滞るくらいの、酷いパフォーマンスを繰り広げていたということでもあるんだけどもだ、それにしたって、演奏自体は良かったんだ」

「でも、本人は、あたかも、実力が伴わなかった、みたいな解釈でいますよ?」

「言いたくないんだろ。仮に、僕が彼だったら、あんな酷いパフォーマンスをするバンドの一員だったなんて、古傷どころか、命に関わるほどの黒歴史だ。誰にも言わず、墓場まで持って行くよ……」

「何をしたんだ、あの人は……」

「ともかくだ、僕は、相原さんの友人から、彼をバンドに入れてやってくれんかと、こうして、メールを受け取ってる」

「迎え入れる気はある、と?」

「いいや。僕一人では決められないよ。ただ、僕には、思えば、ヤクザみたいな因縁をつけてきた馬鹿女や、仲間に裏切られて傷心のダメ人間を、仲間として迎え入れた経緯がある。だから、その締めくくりに、中二病バンドの元ドラマーなんてもんがやってきても、まあ、何とかなるんでないだろうか」

「そうか……。御手洗先輩は……御手洗先輩は、基本的に、厨ニ病患者だったんですね……」

「彼本人はそうでなかった、と、相原さんは言ってるようだけども、どうなんだろうか。ともかく、僕ぁ、まず会ってみるくらいは、してもいいと思ってる」

相原茜の気遣い

「最近、蒸し暑いな……」

私は、その喫茶店の外で、かすかに聴こえる話し声に耳をそばだてながら、彼らに見つからないように、じっと、身を潜めていた。

ここにやってきた理由も、アルさんに会おうとした理由も、そして、御手洗俊雄に抱いている気持ちまで全て、秋坂春美と同じだ。

「うちのバンドのメンバーにも、説得は試みるけどもね、力及ばず……ということは、あるかも知れないよ」

「はい……。その時は、まあ……」

「そこを分かってくれるなら、何とか、話はしてみるよ」

「ありがとうございます!」

彼女の返事のあと、少し間を置いて、アルさんが、「タバコ、吸ってもいいかい?」と聞く。

「あ、どうぞ。っていうか、既に、マスターさんが、さっきから、普通に吸ってますし」

「この人はねえ、客に対する気遣いってものがないんだよお」

「お? 何だ? 俺叩きか? 上等だ。これ以上やるってんなら、お前らの財布の事情なんかお構いなしに、うちの店で一番高い、カルボナーラとブルーマウンテンのセット、押し売りすんぞ。コラ」

「もうヤクザだな」

「ち、ちなみに、それは、おいくら万円くらい……」

「そんな、何万もするか。そんなもん、いくら何でも、ボッタクリ過ぎだわ。なあ? マスター」

「本当は、千四百五十円のところ、本日は、特別価格の、十四万五千円でご奉仕!」

「ヤクザだな」

「闇のボッタクリ喫茶」

「おおう。滅多に来ねえ、女子大生の客に、とんでもねえレッテルを……(泣)」

「普通の料金で出しなさいっつってんだ」

「消費者庁に訴えますよ」

「やめて、お願い……」

こんな馬鹿馬鹿しいやり取りのあとだった。アルさんは、こう言った。

「しかし、君らも大変だな」

君『ら』? 私は、さらに、聞き耳を立て、続きを聞く。

「その、御手洗くんとやらのために、恋敵が、二人して、こんな店までやってきてだ……」

「いや、来たのは、私一人……って、まさか心霊!」

「心霊って、君さあ……」

「どどど、どこですか! 何処に!」

「店の外だ」

「え?」

まさか、バレていたとは。隠れていた柱の陰を出て、店の窓越しに、二人の視界に現れる私。そして、私に気づいた春美の一言。

「祟られる!」

彼女は、先輩というものを、なんだと思っているのだろう。怯える彼女を視線で捉え続けながら、徐に、店のドアを開けた。

「アルベルトさん、私は、もう、駄目です……。死んでしまいます」

「馬鹿言うな。生きろ。生きろって。お祓いでもするかい?」

「まさか……。茜先輩の霊に、お祓いなんかが効くわけないじゃないですか……」

本当に、彼女は、先輩というものを、なんだと思っているのだろう。いいだろう。望むところだ。とことん、追い詰めてやる。

「おやすみ。可愛いお前。静かになさい」

「あ、ああああ、アルさん、悪魔が……、悪魔が、何か言うよ……」

「いやあ、駄目だ。しっかりしろ。しっかりしろって、秋坂」

「物音なんか気にしないで」

「アルさんには聞こえないの!」

「秋坂! 気をしっかり持て!」

「さあ、この手を取って、ネヴァーランドに行くのだ」

「いやああああ!」

「秋坂! 秋坂!」

はい、カット。マスターが、パンと手を打ち、一言告げると、再び、タバコに手を伸ばすアルベルト氏と、それから、青い顔をして、お疲れ様でしたと宣う、秋坂春美。

「いやあ、迫真の演技だったねえ。さすが、演劇研究会、と言っておきましょう」

「うるさい。アルさんも、遊ばないで」

「そう、怒るなよお。僕ぁ、良かれと思ってねえ?」

「でも、まさか、茜先輩まで来てるとは……」

「来てたのよ。あなたと同じ用件でね」

「あ。そうだ、アルさん、さっき、『恋敵が、二人して』って……」

「言ったよ。今、こうして、鉢合わせになってしまったけどもね」

「『恋敵』……? まさか、あ、茜先輩も……?」

沈黙。かと言って、気まずいのは、私と春美だけ。マスターとアルさんは、別に、気を使うでもなく、タバコを吹かしながら、私達の沈黙に付き合っている状態。最初に、沈黙を破ったのは、春美。首を傾げ、不思議そうな顔で言った。

「でも、茜先輩、ずっと、御手洗先輩のこと、パシリにしてたし……。全然、そんな素振り、見せなかったじゃないですか……」

「ちょっ……。パシリって……。違う、あれは、たまたま、ジャンケンで賭けをして……」

「聞いたかい? マスター。パシリだってさ」

「酷ぇな」

「コラ、そこ」

「ああ、駄目だ。マスター。逆らったら、祟られるぞ」

「やめろって、おい……」

「カルボナーラとブルーマウンテンのセット、奢らせるぞ」

「あの目はマジだ。本気だよ。あれは」

「そっとしとこう。そっとしとこう。な」

私も、薄々、感づいてはいた。春美が、御手洗くんを好きだという事に。ただ、相手が、あの、定まらない男、御手洗俊雄である。まさか、そんなことはないだろうと、あんな男が気になるのは、私くらいのものだろうと、思い込もうとしていた。

「私は、本気ですよ……。茜先輩は、どの程度か知りませんけど、私は、毎晩、毎晩、思いつめてしまうくらいまで、御手洗先輩のことが好きです……」

しかし、春美は、現に、こうして、真っ直ぐな目つきで、自分の気持ちを告白している。

一方、私には、今のところ、まだ、『気になっている』程度の気持ちしか無い。もちろん、これ以上ないくらいに『気になっている』のだけれど、彼女のように、こうもハッキリと言い切れるまでの決意ではない……。

身を引くべきなのだろうか。身を引いて、応援してやるべきなのだろうか。もやもやと、要らない気遣いと、自分自身でも推し量れない、自分の気持の間で、揺れ動く隙間もないまま、押し潰されそうになる。

最後に吸い込んだ煙を吐き出し、タバコをもみ消したアルさんは、私の顔と、春美の震える肩を見て、言った。

「いいんでないのかい? 先輩後輩とか、知った中の二人とか、そんな事情は、どうだっていいんだよ。ヴァン・ヘイレンではないけどもさ、愛には気のいい奴らを打ちのめしたり、傷つけたりする力はないのさ」

お互いの顔を見合ったり、アルさんの表情をみたり、視線を動かしまくる私達に、彼が笑う。

「君ら、散々、見てきたばっかでないのよ。自分の気持ちにも従えないまま、右往左往する、『定まらない奴』のしょうもなさをさ。大事なことよ。自分の気持ちの中にある、一番大事な声に従うっていうのは」

小津武彦と設楽絵里の恐怖

「おお、アル。やっぱ、ここか」

「ギタリストはカフェにいる、ね」

「何で、そこに擬えた。髪か? また髪か?」

その後、マグネティックフィールドに現れた、小津と絵里。彼らも、件のメールを読んで、ここにやってきた。

「……本題に入るが、どうすんだ? アル……」

「爆弾処理どころの話じゃ無くなる可能性もあるわよ」

「それなんだけどもさ、僕ぁね、その、御手洗何某くんに、会ってみようかと思ってるんだ」

二人は、露骨に、嫌な顔をした。僕にも、その気持ちは分かるが、秋坂に約束してしまった手前、やっぱりそうだよね、と引き下がるわけにもいかん。

「アル、お前、分かってんのか……? 相手は、何百メガトン級の厨ニ病爆弾だぞ……? 封印された右目の!とか言ってるだけならまだしも、割りと明確に被害が出てんだぞ……?」

「そうだよ!」

「しかしだ、僕らが受け取ったメールを読むに、彼は、バンド内唯一の安全装置だった可能性……」

「機能しなかったじゃねえか」

「まあ、それはそうなんだが、だ……。しかし、うちにドラムがいないのも、その件で困っているのも事実だ」

「うぅ……。だけども、そんな焦らなくてもいいじゃん……。探そう。みんなで、探そうよ……!」

「いや、君らの気持ちは分かるけどもねえ、それでもさ、一つも、会いもせずにねえ、決めつけてしまってもいいものだろうか?」

「でもよ……!」

「絵里は、路上で、いきなり喧嘩をふっかけてくる、チンピラみたいな性悪女だった」

「ぐっ……」

「小津は小津で、仲間に裏切られて、目標すら失った、穀潰しのダメ人間だった」

「お前は、いきなり、残酷な言葉で責め立てるんじゃねえよ……」

「それでも、僕は、君らに会えて良かったと思ってるよ。しかし、あの時、あの場所で、あんな性悪女、関わりたくもないと、あんなダメ人間は、勝手に死んでしまえばいいと、そう言って、断ち切ってしまったら、僕は、ずっと、誰に理解されるでもなく、駅前で弾き語りをしながら、先の見えない日々を送っていただろう」

「アル……」

「もし、この世界に、運命なんてものがあるんだとしてね、そして、沙織さんからのメールも、また、運命によるものだとするならだ、これだけの連中に出会わせてくれた運命なら、僕は、従ってもいいんでないかと、そう思う」

「……」

「僕らにできることはただ一つ、この人生を愛し、生き抜くために、全力でふざけまわって、そして、その為のトライ・アンド・エラーを繰り返すことだけだ。心配だったら、その先の条件分岐でも書き加えてから、実行すればいい。条件に合うなら取り込め。駄目だったら飛ばせ。バグが出て止まったなら、解析して、パッチを当てて、また実行だ。僕らに、それ以外の選択肢はないし、どの道、僕らは、同じ事を繰り返すしかない」

ここまで言い切ると、二人は、黙り込んだ。

「というわけで、僕ぁ、ひとまず、その、問題の男に会ってくるよ」

今日の花を摘め

「あ、アルさん! はい! 河野です! お久しぶりです!」

その日、東邦経済大学・軽音楽サークルの部室。携帯電話が鳴り、電話に出た河野くんの一言から、それが、かの伝説のギタリスト、アルベルト・グロスマン氏からの電話だと、すぐに分かった。

「どうしたんすか、急に。……え? うちの部室に来る? ウソでしょ! ……いや、だって、そんなんしたら、大騒ぎですよ! ……や、あなたね、仮にも、物凄い有名なアーティストのバックも務めてて、音楽番組なんかにも出てる、売れっ子ギタリストなんですよ! そんな人が来たら、大学中、大騒ぎですよ! もう少し、自覚を持ってください! 自覚を!」

何でも、そのアルさんが、うちの、このサークルの部室にやってくるというのだ。

「いや、分かりましたよ……。え? 御手洗先輩ですか? まあ、呼べますけども。……はい、じゃあ、御手洗先輩を部室に呼んで、待っててもらえばいいんですね? はい。分かりました。……ああ、それと、くれぐれも、静かに、周りにバレないように入ってきてくださいよ。……はい。お待ちしてます」

奇しくも、秋坂がアルさんのもとを訪れた翌日のこと。彼女は、一体、アルさんに、何を言ったんやろう。

「河野くん、河野くん」

河野くんが電話を切って、ほんの数分後、続いて、秋坂が、部室にやってくる。

「何や、秋坂。今、アルさんが来るって言うんで、御手洗先輩を呼びに行かな……」

「そう。その件なんだけど、アルさんが、頼み忘れたことがあるって」

「ええ?」

「何でも、私もよく分かんないんだけど、『二十六インチのバスドラを二発、用意させといて』ってさ」

「二十六インチのツーバス? そんな凶悪なもん、何に使うねん」

「多分、御手洗先輩が叩くと思う」

「先輩が? あの人、そんなもん、操れんのか?」

「分からないけど、アルさんが、そう云うんだもん。とにかく、伝えたからね。御手洗先輩は、私が呼んでくるよ!」

「ああ、じゃ、頼むわ」

二十六インチのツーバスなんて、コージー・パウエルでもなしに、そんなもん、誰が叩きこなせるのか。周りで話を聴いていた、サークルの仲間たちも、首を傾げながら、考えていた。

「お、おい、何だって? アルベルト・グロスマンが来るって……?」

「はい。そうなんすよ。何でも、御手洗先輩に用があるみたいなんですけど」

「だったら、何で、ここに。演劇研究会じゃないの?」

「秋坂が言うには、御手洗先輩がドラムを叩くとか……。なあ? 河野くん」

「そうそう。……ああ、藤尾、フットペダル、持ってきて」

「おう」

僕と河野くんで、部室のドラムセットを組みながら、僕らの知りうる事情を、サークルのみんなに、話して聞かせた。御手洗先輩絡みで、どんな用件かは分からないけど、アルさんに会いに行った秋坂。そして、突然の、アルさんからの電話と、謎の追加注文。

「アルさんが来るんなら、ギターアンプも使うよね。何がいいかな」

「あの人、マーシャルとか、使うんかなあ……」

「でも、ジャズコーってキャラでもないだろ?」

「じゃあ、マーシャル……」

「メサ・ブギで良くない?」

「せやね」

「一応、他の機材もセットしとくか」

サークルは、忙しく、機材の準備を始め、どれも、スイッチひとつで音が鳴るところまで、手はずが整う。すると、廊下から、今まで、聴いたことも無いようなざわめきと歓声が、部室の方に近づいてくる。やがて、勢い良く、部室のドアが開き、満面の笑みのアルさんが登場。

「いやあ、お待たせ!」

しかし、背後には、ものすごい数の学生達が迫っていた……。

「きゃー! アルさあん!」

「アルさん、サインください!」

河野くんが、言わんこっちゃないといった表情で、引き連れてきた大学生連中をシャットアウトするように、部室のドアを締め、さらに、アルさんを一喝。

「アルさん! あんた、何してるんですか!」

「何もしてないよ。ただ、なんて言うか、やっぱり、ハーレーは目立つねえ」

「ハーレー?」

「いや、普段乗ってるバイクが車検に入ってるもんで、代車に、ハーレーのスポーツスターを借りてきたのさ。したっけ、あの排気音だろ。校門くぐるとこから、大注目さ」

苦学生も多い大学キャンパスに、ハーレーダビットソンのV型二気筒の排気音。そして、乗っているのは、身長一九〇センチ近い色男とくれば、嫌でも目立つ。

「もう! だから言うてるじゃないですか! 目立つんですよ! 車で来たら良かったじゃないですか!」

「仕方ないだろぉ。車は妹に貸してしまったんだもの。いや、軽音楽部の皆さんも、ごめんなさいね」

「いえ、そ、そんな……」

「御手洗先輩はまだですけど、機材の準備は整ってますから」

「ありがとう。さすが河野くんだ。このメサ・ブギなんかは、僕のためにセッティングしてくれたんだろ? 心憎いもの。さすが、分かってるもなあ。河野くんは」

「そ、そんな、褒められたって、べべべ、別に、嬉しくなんかないですよ……!」

「ツンデレかい? そういうキャラで行くの?」

「違いますよ、もう……」

「ははははは。……にしても、あいつら、遅いなあ……?」

「『あいつら』? 誰です?」

「んん。うちのバンドのメンバーがねえ、一緒に来たんだけどもさ、どっかではぐれてしまったんだな……」

この、そこそこ広い校舎ではぐれたとなると、なかなか面倒である。探しに行こうと、まだ、自身の出待ちをしている大学生連中の中に飛び込もうとするアルさんを静止し、僕が探しに行こうとした、その時だ。廊下の向こうの方から、何やら、声が聴こえる。

「アルぅ! あんた、何処行ったのよぉ!」

「人ごみ、怖ぇよお!(泣)」

アルさん。あれっすか?

「ああ、あれだねえ……」

僕は、意を決し、部室のドアを開ける。

「アルさ……!」

アルさんを期待し、僕と目があったミーハー連中。

「何だ……」

「藤尾か……」

君ら、覚えとけよ。僕が有名になっても、絶対、サインなんかしてやらんからな。

気を取り直し、声のした方に向かうと、そこでは、仁王立ちで怒りを顕にした美人と、ちょっとガラの悪そうな、半泣きの男性の姿。

あの……。アルさんのバンドの方ですか?

「そうよ! あの馬鹿、どんどん先に行っちゃってさ!」

「助けが来たあ!(泣)」

よりによって、男性の方に抱きつかれる。

「助けが来たよぉ……!」

「いや、ちょ……、はな、離れ……、どうせなら、そっちの女の人に……」

「君、名前は!」

「あ、はい、藤尾です……」

「よし! 俺は、今日の日記に、藤尾くんの優しさが嬉しかったって書いとく!」

この人は、きっと、いい人だ。ていうか、そんなガラの悪そうな風体で、日記とか付けてらっしゃるんですね。

二人を部室に案内しながら、思うた。……この二人、どこかで見たことがあるんだよなあ……。まあいいか。アルさん。お連れしましたよ。

「おお。来たか。この、のろま共」

「アル。ぶん殴ってやるから、そこに座れ」

「のろまって事あるか、この野郎」

「わははははははは」

しかし、二人を見た、サークルのメンバーは、二人について、ヒソヒソと、話し始めた。

「う、嘘だろ……?」

「マジかよ……。いやいや、そんなはずは……」

そんなみんなの態度に気がついたのだろうか、アルさんは、二人を、僕らに紹介する。

「ええ、うちのバンドのメンバーの、小津武彦と、設楽絵里です」

僕は、耳を疑った。……でも、聞き間違いでもなさそうだ。ああ、同姓同名の人たちだろう。誰もが、そう思い込もうと必死で、深くツッコめずにいる中、特攻していったのは、河野くんだった。

「え、ちょ、ウソでしょ? 小津さんと設楽さんて、まさか、ニッケル・アイゼンの小津さんと、マーヴェリック・ミーアキャットの設楽さん……じゃあないですよね?」

「いいや。正真正銘、その『小津さん』と『設楽さん』だ」

部室内には、驚きの声がこだまする。

「なんというか、成り行きでね、こうして集まったのさ」

こんな恐ろしい出来事にまで、成り行きという言葉を使っていいものだろうか。これを成り行きと言ってしまったら、もはや、世界で起こる戦争や大恐慌が、全て、成り行きで済んでしまう。それは言いすぎだろうと思われるでしょうけど、僕ら、東京のアマチュアミュージシャンにとって、彼らとは、そういう存在ですから……。

「問題の御手洗くんは、まだ来てないらしいんだ」

「そうなのか。……しかし、すげえな。大学のサークル。見ろよ。この機材。高校の軽音楽部じゃ、こうはいかんぜ」

「ねえ……」

「ごめんねえ。うちのバンド、みんな、高卒なもんでさ」

僕らが、ただただ、彼らの持つ、不思議な存在感に目を奪われる一方、三人は、御手洗先輩の到着に備え、各々の楽器をセッティングし始める。

プレベ、レス・ポール、変形V。それらの楽器とアンプの間に、ごく最小限のエフェクター。アルさんは、ワウペダル。設楽さんは、ベース用イコライザ。小津さんに至っては、アンプ直結。

僕や河野くんにとって、アルさんの機材のミニマム化は、ちょっとした驚きだった。前のバンドでは、ラックにマウントした機材を持ち歩いて、エフェクタもひと通り揃えていたアルさんの身の回りから、ワウペダル以外の、一切のエフェクターが姿を消した。確かに、今日くらい気軽な用事だったら、そこまでは揃えてこないだろうとは思うけども、まさか、ワウペダル一つというのは、正直、びっくりした。

「ほら、御手洗先輩!」

「だから、なんなんだよぉ!」

部室に、秋坂に連れられた、御手洗先輩が現れた。

「しっかし、何だよ、表のやじうま! すげえ集まってんぞ! 何が始まるんだよ!」

そう言いながら、彼は、僕らの姿を見回し、そして、その中に、見慣れない人物が約三名、いることに気がつく。そう長い時間も置かずに、呟いた。——ウソだ……。どうして、その三人が……。——三人と御手洗先輩の関係も知らない僕らは、この場を見守るしか無くなった。

「さあ、先輩。やってやりましょう」

「やってやるって、秋坂、一体、何の……?」

「『何の』って、そんな、しらばっくれちゃって。ちゃんと、先輩の場所、空いてるじゃないですか」

秋坂が指さしたドラムセット。二十六インチのツーバス、スネア、タム二発に、フロアタム一発と寄せ集めのシンバル。

二人のあとに続いて、演劇研究会の部員たちも、続々と雪崩れ込んできた。

「御手洗先輩がドラム叩くって?」

「先輩、叩けるの?」

僕ら同様、御手洗先輩の素性を知らない連中は、一様に、事態を飲み込めない様子で、事の成り行きを追う。

「河野くん、スティックはどこだい?」

「スネアの上に置いてありますよ」

「ありがとう。……だそうだ、御手洗くん」

「何、ボォっとしてんだよ。早く準備しろよ」

「結構、待ってたんだよ」

「っていうか、おま、お前ら……」

「ああ、そうだ。紹介が遅れたね。はい。まずは、ご存知ぃ、元スウェッティング・バレッツの、ギタリスト、アルベルト・グロスマンでぇ、ござい、ます!」

「ほい。それから、元ニッケル・アイゼン、歌とリズムギター担当、小津武彦」

「さらに、元マーヴェリック・ミーアキャット、エレキベース・アンド・セクシー担当、設楽絵里」

「おい、絵里、ずるいぞ。何だよ。セクシー担当って。そんなん有りなら、俺、ダンディー担当!」

「バカ。アルは、お笑い担当だろ? ダンディー担当は、俺」

「お前、お笑い担当って何よ。それに、ダンディー担当つったって、あれだぞ? 真ん中で、『ゲッツ!』つってる役だぞ?」

「そっちのダンディーかよ!」

「やった。小津、『ゲッツ!』担当!」

「おまっ……、きたねえぞ!」

「あんたら、うるさい」

アルさん。あんた、間違いなく、お笑い担当っすわ……。御手洗先輩は、少し後ろに身を引きながら、怯え気味に、彼らに聞いた。

「いや、お前らが誰なのかは、もう、分かってんだよ……。それが、どうして、ここに……」

「おお。分からないかい? そりゃそうだろう。話が決まったのは、昨日の今日だ」

「おい、御手洗くんとやらよ。お前、バンド探してんだって?」

「あ、ああ。探してる……けど……」

「その話をさ、あんたの元同級生の、相原茜って人と……」

「そこにいる、秋坂から聞いてねえ。それだったら、まあ、一度、試しに、その御手洗くんとやらに会って、合わせてみてだ、何なら、その場で、腹を割って話そう! と……」

「それで、こういう運びになったわけだ。……分かるか?」

「ああ、うん、そういうことなら……って、いや、分からねえ! 確かに、言ったよ! 秋坂と茜に、バンドがやりてえなあなんて話をした覚えはあるよ! だけど、何で、よりにもよって、お前ら……!」

「それは、あれかい? 自分がこてんぱんにされたバンドの主要人物ばかりが、ってことかい?」

「それとも、あんたの黒歴史を間近に見……」

「うわあああ! やめろよ! 変な事言うなよ!」

「黒歴史?」

「忘れろ。忘れろ、河野」

「いや、でも、黒歴史って、今……」

「お前は疲れてるんだ。誰も、そんなことは言ってない」

「でも……、ねえ?」

「疲れてるんだ。もう、帰って、寝ろ」

明らかに、胸の奥にしまっておきたい、忌々しい何かを抱えている御手洗先輩。久々に、先輩風を吹かせながら、強めの語気で、河野を黙らせる。

「おい、秋坂。どうなんだ? 彼は、乗り気なのか?」

「や。乗り気だとは思うんですけど。……きっと、緊張してるんですよ。久々だし」

「緊張してんだったら、しょうがねえか」

「しょうがないよね」

「じゃあ、まあ、軽音楽部の皆には悪いけども、君の気持ちが決まるまで、ここで待ってるよ」

「何だったら、軽音部、一緒に、なんかやる?」

「おお、いいな、やろうぜ」

その間、御手洗先輩は、秋坂に詰め寄り、小声で問い詰める。

「秋坂! 何で、あの連中が……! ていうか、お前、知り合いだったのか!」

「いいえ。昨日、始めて、アルさんにお会いしました。河野くんと藤尾くんが知り合いだったんで、うまい具合に繋いでもらえて」

「河野。藤尾。お前ら……」

「ぼ、僕らは何もしてませんよ! ただ、連絡先とか知ってたら教えてくれって言われただけで……、なあ? 藤尾」

「そうですよ! 僕らだって、びっくりしてるんですから!」

「最初は、アルさんだけでも来てもらえてばラッキーだなって思ってたんですけど、偶然、アルさんが、あのお二方と、バンドを組んでるという事が分かりまして」

「どういうラッキーだよ……。有り得ねえよ……。俺にどうしろっていうんだよ……」

なかなか煮え切らない感じの御手洗先輩に、ちょっとおどけた口調で、秋坂がけしかける。

「でも、御手洗先輩も、ここいらで、ちゃんとやっとかないと、マズイんじゃないんですかあ?」

「ど、どういうことだよ?」

「だってこの辺で、何か一つでも、ちゃんとやっとかないと、この先の人生、やり残しばっかり残っちゃいますよ? いいんですかあ?」

「う……」

「このまま、いい加減で、方向性も定まらない、なあんにもない人生送ってたら、社会からも見放されちゃいますよ。ねえ?」

「お前……、むかつくなあ……! クソ! ああ、分かったよ! やってやるよ!」

「はい。いただきました。……アルさーん! 先輩、やるってー!」

「ああ、そう? そいじゃ、やろう」

「このやろう……」

二十六インチの奇跡

上手い感じに秋坂にのせられた、御手洗先輩は、渋りつつ、さらに、事情を完全には把握しきれていないまま、ドラムセットのスツールに座り、ドラムのチューニングを確かめる。

そして、バスドラムを鳴らすと、ああ、そうだと、椅子から立ち、セットの正面に周り、しゃがみ込む。

「これ、ミュート、出していい?」

恐ろしいことを言い出した。二十六インチのバスドラムなんか、普通に叩くんでも大変なのに、さらに、ミュートを外すなんて……。マジっすか? 先輩……。

「うん。これ入ってると、都合悪いんだ」

先輩の行動がハッタリじゃなければいいなと心配しながら、そんなデカいバスドラム、うちじゃ誰も叩かないし、好きにしてもらっていいですよと返す。

正面に開いた穴から、ミュートにしていた毛布を取り出し、脇に置いた先輩は、再び、バスドラムの鳴りを確かめ、チューニングを合わせ直して、よしと、納得した様子で頷いた。

「いいかい? 曲は、何やる?」

「御手洗の得意そうな辺りから」

「どうする?」

「じゃ、じゃあ、『Burn』で……」

「絵里は、それでいいかい?」

「あれだよね? ♪でれててーつ、でれててーてー、でれててーつ、でれててー」

「そうだ、それだ」

「オッケー。やろう」

「よし。じゃあ、小津から、よろしく」

「おうよ」

小津さんのギターから、ディープ・パープルの『Burn』のリフが奏でられる。曲こそディープ・パープルではあるものの、その、『ステージからコンクリ壁を投げつけられるような』と称される、重く、硬質で、揺るぎないサウンドは、まさに、小津武彦、その人のリフだった。

さらに、設楽さんのベースと、また、その後に、アルさんのギターと先輩のドラムが重なり、曲目しか打ち合わせしてない状態で、いきなり、アンサンブルが出来上がっている……。

僕らが心配した、先輩のバスドラムも、完璧にコントロールされた上で、信じがたいヴォリュームの重低音を鳴らしている。

僕ら軽音楽部は、ただ、唖然としていた。あの三人の演奏を聴けたこともそうだし、御手洗先輩のドラムの、想像以上の完成度にも……。

「嘘だろ……。あの人、あんな上手かったのかよ……」

「うちにも、ただ暇つぶしに来てるだけだと思ってたのに……」

イントロの段階で、既にこれだ。先輩は、その後も、僕らの期待を、遥かに上回り、レベルの高い演奏を続ける。

マッチョな歌声と鉄壁の如きリズムギターで音圧の壁を築く小津さん。御手洗先輩のドラムと一緒に、それに負けないくらいのグルーヴを押し出しながら、全てのリズムを包み込み、肩書き通り、妙なセクシーさのあるベースを奏でる設楽さん。原曲のキーボードのパートを上手く拾い上げながら、リードギタリストとしての存在感を加え、曲の緊張感を十二分に表現するアルさん。この中にあって、御手洗先輩は、決して負けていないどころか、完全に、対等だった。

演劇研究会の部員も、徐々に、今、ここで起こっている異変の重大さを認識し始める。

「御手洗先輩って、本当は、すごい人なんじゃないの……?」

「サボりばっかで、頼りなくて、情けない、駄目な部長はどうしちゃったんだよ……」

そこにいた御手洗先輩は、いつもの、適当で、無気力で、無責任な大学五年生ではない。明らかに、別人だった。妙な違和感を覚えつつも、僕らは、彼らに、御手洗先輩に、惹きこまれてゆく。

気がつけば、部室は、軽音部、演劇研究会、そして、外でアルさんの出待ちをしていた学生までもが雪崩れ込み、ちょっとしたライブ会場のような雰囲気に。

僕らが入部して以来、学園祭でも見たことの無いような、異常な盛り上がりの中、彼らは、十数曲のカヴァー曲を演奏し、そもそもの目的もさておき、即興ライブを楽しみ、二時間後、部室を後にしていった。

搾り、しゃぶり尽くせ

「それで、だ……」

後片付けを、河野くんと藤尾くんに頼んで、軽音楽部の部室を後にし、ひとまず、キャンパスの外に出たアルさんたち御一行と、御手洗先輩、さらに、私、秋坂春美は、徒歩で、大学の近くのファーストフード店にやってきた。

「結論として、どうするのよ?」

「う、うぅん……」

あんなに張り切ってドラムを叩いていたくせに、何故か悩む先輩。その様は、じれったいを通り越して、もはや、ウザったい。やればいいのに。しかし、先輩の頭の中でも、要らない思考が渦を巻くように駆け巡っているのだろう。

その、何処までも定まらない御手洗先輩を見かねたアルさんが、落ち着いた口調で、言う。

「御手洗くん。今日の花を摘めるのは、今日しか無いのかも知れないんだぞ? 明日も咲いてりゃあいいけどもさ、それが、枯れてしまったり、他の誰かに摘み取られたりしたら、もう咲かないんだぞ」

「そ、それは、分かって……」

「いや、多分、わかってないと思うな。例のバンドについては、内情をよく知らないけどもね、その後の君はどうだ? バンドを諦め、演劇研究会に入った君はだ、目の前のこともおろそかにして、後ろばかり振り返って、何も摘み取って来なかったんでないのか。でなきゃ、後輩にまで、こんな心配を掛けるわけがないもの。そうだろ?」

「う……」

「やっぱり、演劇って選択肢はなかった、ってことなら、それでいいかも知れないよ。しかし、君はだ、逃げるように駆け込んで入り浸っていた軽音楽部ですらね、適当に無駄話をして、お茶を濁して帰るだけだ。あそこの部員にだって、あの人、何しに来てるんだと思われながら、かと言って、演劇部だって辞めないまま、だらだらと、責任から逃れているだけだ。挙句に、本分の学業だって、中途半端に、一年引き伸ばして、適当にやっててねえ……。君は、一体、何をしてるんだ?」

言い返す隙の無くなった先輩は、一人、縮こまって、俯く。

「それで、君は、問い詰められた挙句、相原茜に、こう言ったんだ。『バンドがやりたい』と。だったら、やれよ。君は、これだけの手間と迷惑を、周囲に追わせてるんだ。君一人がねえ、飄々と逃げまわってだ、無気力と無責任を繰り返すっていうのはさ、裏切り以外の、何物でもないんだぞ」

「そ、そうかも知れないけど……」

どこまでも煮え切らない先輩に、ついに、アルさんは、その静かな怒りを顕にし始める。

「三百、対、ゼロだ」

「……え?」

「君のバンドが、うちのバンドと一緒にライブをやった時の、それぞれのステージに、最後まで残った客の数だ」

「……っ」

「話を聞くに、当時のうちのバンドと、君のバンドは、全員、同い年だ。見た目だって、楽器を始めた時期だって、演奏技術だって、そう変わりないはずだ。そのバンド相手に、どうして、こんな差が開くんだ?」

「それは……!」

「それから、幾度かのライブを経て、さらに、小津のバンドとやって、また同じような結果になってだ。さらに、同じように、時を経て、絵里のバンドとやって、女子高生バンドに、まさかの惨敗だ……」

「ぐっ……」

「バンドを諦め、演劇を夢見たはいいが、そこでも、何も残せず、同じ事の繰り返し。……悔しくないのか?」

「……!」

「いつまでも、三百対ゼロの結果を引きずったまま、覆すことすらせず、ヘラヘラと毎日を過ごして……。君は、ゼロか? ゼロの人間なのか!」

アルさんの、演劇部員顔負けの声の張りで、一気に店内の注目を浴びてしまう私達。しかし、小津さんと設楽さんも、それを気にすること無く、二人の話の行く末を見守っている。

御手洗先輩は、震えながら、顔を紅潮させ、その目から、大粒の涙をこぼし、何かを吐き出すように、言った……。

「悔しいよ……。ああ、悔しいよ! 俺だって、俺だって……! 諦めたふりして、ヘラヘラ笑ってたけど、俺だって、悔しいよ! このままじゃ終わりたくねえよ!」

それを聞いたアルさんが、鋭い目つきで、先輩を見据る。

「じゃあ、やりなさいよ。まっすぐ立ち上がって、ここに咲いてる、今日の花を摘み取りなさいよ。Come squeeze and suck the day……だ」

そして、メタリカの“Carpe Diem Baby”の歌詞を引用しながら、静かに、それでいて、力強く、言い放つ。

「少なくとも、僕らは、君の昔の仲間よりも、君が欲してるものを知ってるし、同じように欲してるんだ。それだけで、十分だろ」

「アル……」

「事が事だけに、今すぐ答えろとは言わないよ」

席を立ったアルさんは、ジーンズの右のポケットから、あの喫茶店のマッチの箱を取り出し、御手洗先輩の前に放り投げた。

「ここ最近、忙しくてあれなんだが、暇な日は、大体、そこにいるし、僕がいなくても、小津か、絵里の、どっちかがいる。誰もいなかったら、そこの店のマスターに、伝言でも頼んどいてくれ」

小津さんと設楽さんも席を立ち、アルさんに続く。

「最後に、もう一度だけ言っておくぞ。君を気にかけてくれた人たちが咲かせた、この花が、いつまで咲いてるのかなんて、誰にも分からんぞ」

黙って頷く先輩。

「ほら、秋坂。何してんだ。行くぞ」

「え? で、でも……」

「今は、御手洗本人が、自分で、独りで考えて、結論を出す時だ。……ほら」

その二日後、御手洗先輩は、例の店を訪れ、バンドに加入する運びになった。

Appendix: 演劇研究会2013・夏/思春期公演・Never

「で、どうですか? 先輩」

「話しかけんな。ネタが飛ぶ」

演劇研究会部室。結局、次の舞台の台本からは逃れられなかった御手洗先輩は、絶賛軟禁中で、俗に言う『カンヅメ』という状況設定に置かれ、せっせと執筆活動を続けている最中です。

「んん……。山賊は無理だな……」

あなたは、私達に、一体、何をさせる気ですか。

「山賊の線がなくなったってことは……、パニック物か……」

それよりも、そもそも、話のプロットすらできていないと、そういうことですか。勘弁してください。

「秋坂。さっきは済まなかった。何か、いいネタはないか」

私、秋坂は、ありませんよと、即答する。

「そんな、即答しなくてもいいだろ。なんか、考えてくれよ」

仕方ないなあと思いながらも、こんな提案をする。学生五人組の、厨ニ病バンドの、波瀾万丈記でも書いたらいかがですか? 先輩は、よくご存知でしょう。そういうバンド。

すると、御手洗先輩は、青褪めた顔で、「秋坂、その、後で、なんか奢るから……」と、感謝の意を示してくれた。

それが嬉しくて、私は、さらに、話の大筋を説明する。ストーリーは、客席にギターをぶん投げて暴言を吐いたりする、痛々しいバンドが、波瀾万丈な音楽生活を送りながら、どう成長していくかという、音楽の世界をモチーフにした青春モノです。

「秋坂。待って。待って、春美ちゃん」

設定としては、開演三十分遅れでステージにやってきて、無気力な演奏をしたり、MCで客を不感症の娼婦呼ばわりして暴言を吐いたりと、まあ、むちゃくちゃなバンドがですね、何段も格上のバンドの『マーヴェリック・ニッケル・バレッツ』を、勝手にライバル視しながら、喧嘩したり、友情を確かめ合ったりしつつ、進んでいきます。

「あ、秋坂さん……、ちょ……、待っ……」

話の主人公である、バンドのドラマーは、途中で、演劇に浮気したり、大学を一年ダブったりしながら、人生を模索したりするんです。タイトルは、そうだなあ……。『思春期公演・Opposition』。これで行きましょう。

「秋坂ぁ!(泣)」

御手洗先輩は、私の考えたプロットに、いたく感動したらしく、涙を流しながら、机に突っ伏してしまいました。やあ、天才だな。私ってば。

そんなこんなで、悦に入っていると、ここの副部長がやってきて、言うわけです。

「残念ね、秋坂。そのストーリーなら、私が先に、台本化してやったわ!」

「何してんだ、おめえらは!(泣)」

その時、私の身体に、電流が走る。まさか、私の、渾身のストーリーを、副部長が先に台本化していたなんて。

「御手洗先輩に泣いて喜ばれるほどの仕事を、私は、成し遂げてしまったようね」

「喜んでねえんだって!」

さすが副部長。さすが、実質、部長不在の、うちのサークルを、独りで引っ張ってきた人だ。

「ちなみに、監修は、小津武彦さん、設楽絵里さん、アルベルト・グロスマンさんの御三方!」

「マジで、何してくれてんだよ!」

しかも、完璧な資料集めと下調べ……。この人は侮れないぞお。

「見なさい。このリアリティ!」

「貸せっ! ……マジにリアルじゃないですか、ヤダー!(泣)」

うわあ、すごおい(汗)。この、三人しかいなくなった客席に向かって、ドラマーが、ふてくされて、スティックをぶん投げるところなんか、楽屋から覗いていたかのような、台本から飛び出さんばかりのリアリティ!

「『すごおい(汗)』じゃねえよ! アイツら、何で、こんなに覚えてんだよ!」

「しかも、このタイトル」

副部長の台本のタイトルは、こうだ。『思春期公演・Never 〜抱き続けた娼婦たちへ〜』。

「てめえ、ちょっぴり、チーム・○ックス風味にしてんじゃねえよ! ていうか、そのセリフ、もう忘れて!」

でも、主人公の、このドラマー、多分、童貞ですよね。

「そうなんだけどね(笑)」

「ああ、そうだろうよ!(泣)」

童貞だったんだ(笑)。御手洗先輩は、さっきから、随喜の涙が止まらないご様子だ。

「そうでしょう、そうでしょう」

これは、もう、御蔵入りにしてしまうには、もったいない。副部長に提案する。次の公演、この台本でいいんじゃないんですか?

「お? 秋坂、ナイスアイディア」

「待てって!」

副部長は、部員を集合させ、言う。

「次の公演の台本は、私が書いた、この台本で行こうと思うの。どう?」

台本に目を通した部員の皆は、満場一致で、副部長の提案に賛成する。しかし、一人の部員は、あることに気がついた。

「副部長! この、主役のドラマーの、新井俊之役は、一体、誰が?」

「ホントだ。配役、決まってないね。これだけ」

そう。主役の、ドラマーの配役だけが、空白のままだったのだ。副部長は言った。

「是非、御手洗部長にお願いしたく……」

なるほど、適任。だけども、謙虚な御手洗先輩は、自分が主役などと烏滸がましいと、なかなか、引き受けてくれない。

「やらねえって! 絶対、やらねえからな! そこ、俺の名前、書くなよ!」

頑なに固辞する御手洗先輩。しかし、私達には、分かっている。これこそ、かの有名な、上島メソッドである。つまり、『書け』ってことですね。

「違うよ、バカ!」

こんなお茶目なやり取りを経て、主役は、目出度く、御手洗先輩に決定!

「嫌だ——!」

というわけで、演劇研究会2013・夏/思春期公演・Never! 皆さん、お楽しみに!

「ふざけんなっ!」