この曲がりの果てに…… Ver.3.0.1 #2

ロックバカどもの日常 Vol.1

「何だ? このコード進行。すげえな……」

兄、小津武彦がギターを練習している。兄がギターを練習している。多分、誰からも尊敬されない兄だけど。兄がギターを練習している。

「うわあ、すげえ、こんな繋ぎ方すんのかよ……。ええ……?」

兄がギターを練習している! (天変地異か? 天変地異か!) 私には全く尊敬できない兄だけど! 兄がギターを練習している! (ニートの兄が! ニートの兄が!) やっぱり全く尊敬できない兄だけど!

「うへえ……。曲調の展開がノイローゼだ……」

どっ、どうしちゃったんだ、兄ちゃん……! だって、この一年間、ギターも触らず、仕事もしないで、ゴロゴロしてたじゃない! それが何だ? 急に、また、ギターの練習をし始めて、なんかの気まぐれだと思ったら、今日は今日で、バイトが決まったとか言い出して、帰ってきたかと思えば、また練習……。

「お? 電話だ。……はい、もしもし。……おお、アルか。……ああ、やってるやってる。……お? 来る? うちに? いいぜ。ああ、この前、来たから分かってると思うけど、車、停めらんねえぞ、うち。……バイク? だったら、大丈夫。ああ、待ってるわ。あーい」

そう言えば、この間の木曜の朝、何か、水平対向エンジンの、物凄い音のする車に乗って、朝帰りしてきたなあ、兄ちゃん……。何か、関係あるのかなあ……?

「んーと。続き、続き、と。……何だ? このスウィープ……。待て待て待て。えっと、音源の……、この辺か……。いけね、行き過ぎた。……よし、ここだ。……いや、嘘だぁ……。この音、ギターだったのかよぉ……。しかも、アイツ、自分のギターとハモらせる気満々じゃねえかよぉ……。クソ。やるしかねえな。……んぬあ! 速すぎたか? ……うわああ。今度は上昇できねえ! 速すぎんだって!」

何だ? 本当に槍でも降るのか? ……っと。呼び鈴鳴った。誰か来たな。兄が聞こえていない様子なので、私が玄関に出る。すると、そこにいたのは、沙織さんだ。

「こんにちは!」

ううん、今日も可愛い。何で、こんなに可愛いのに、あの兄ちゃんの彼女なんだろ。おっと、そうだ、沙織さんにも報告しないと。

「沙織さん、変態」

「変態?」

「違った、間違った。沙織さん、大変」

「何が?」

「兄ちゃんが、何か、ギターの練習しだしたり、仕事見つけてきだしたりして、おかしい……」

「真由美ちゃんの中では、果てしなくニートなんだね、彼は」

果てしなくと言うより、この一年の腐れっぷりが堂に入りすぎて、その印象が強くなっちゃっただけなんだけども。なんてことを思っていると、背後から、兄の声。

「おお。沙織。どうした?」

「うん。遊びに来た」

「そっか。上がれ上がれ」

「おっじゃましまーす」

心なしか、以前より、沙織さんも、ニコニコしている。この間までは、兄に会うたび、どんよりとした顔をしていたのに。何があったんだ。

「後で、アルと設楽も来るらしいんだわ」

「うん。さっき、メール来た。だから、私も、便乗して、遊びに来たんだけどさ」

それに、さっきから、ちょくちょく電話したりしてきてる『アルさん』っていうのは、一体、誰? アルさん? 有川さんとか、有田さんとか、有森さんとか、そういう苗字の人なのか? それとも、『アルコール大好きな飲んだくれ』だから、その頭を取って、『アル』さん? どんな人が来ちゃうんだ?

「沙織、何飲む? 緑茶か麦茶かコーヒー。コーヒーはインスタントな」

「麦茶!」

「よし」

兄は台所へ。沙織さんは、居間でくつろぎ始めた。何でか、この二人には、『自分の部屋で二人きりで秘密のムフフ』的な感じがない。これは、以前からだ。

「お待たせ」

三人分の麦茶とお茶菓子を持って戻ってきた兄。沙織さんの隣に座って、一息。

「いやあ、アルの書いた曲がさあ、えらい難しくてさ」

「ああ、複雑だよね。パッと聴いても、結構、入り組んでるなあって分かるっていうか」

「アイツ、すげえわ……」

ふむ。アルさんという人は、曲を書く人らしい。ミュージシャンか。

「でも、あんな難解な曲が、どういうわけか、すっと入ってくるんだよね、耳に」

「そこだよ。一見『なんだこれ!』って進行も、実際、音にしてみると、すげえ考えてあんだよな。音の繋がりとかさ、展開の繋がりとか。すげえすんなりつながるところもあれば、わざとすんなり行かないようにしてある部分もあったり……」

んん。天才肌? 理屈屋? 私の頭にパッと出てきたイメージは、インテリっぽい感じの、真面目そうな人。

「やっぱ、メタリカかメガデスかで言うと、メガデスっぽいよね」

め、メガデス! いきなり、イメージが、全部壊れた。いきなり、危ない人っぽいイメージになってしまった……。怖いなあ。どんな人なの……。

その時、表から、太くて滑らかな排気音がして、家の門の前で止まった。

「お? アルか?」

「アルさん、車じゃないの?」

「今日は、バイクで来るって言ってたわ」

うおおお。ついに来た……。居間からは、掃き出し窓から、門を見通せる。見てみると、フルフェイスのヘルメットを被った、背の高い、骨格的に、男性だと思うんだけど……、とにかく、そんな感じの人が、やたらと横幅の広いエンジンの載っかったバイクの傍らに立っていた。

すぐさま、兄が、門のところまで駆けつける。

「おい、お前、すげえもんに乗ってきたな……」

ええっと、一、二、三、四、五……、六気筒! バイクなのに、直列六気筒エンジン! ガソリンタンクもでっかいし……。な、何だ? あれ……。

「バイク、この辺に置いていいぜ」

「ありがとう」

兄に言われた場所にバイクを停めた男性は、その場で、ヘルメットを取る。……が、外人さんだ! 少し彫りの深めな顔立ちに、うっすらと茶色いカールした髪。言われてみれば、どことなく、デイブ・ムスティンっぽい顔立ち。そして、その男性が、ヘルメットを取ってすぐに発した言葉。

「いやあ、なまら暑い!」

北海道弁! 『なまら』って言った! 外人なのに、『なまら』って言った!

「何でも、今月は、観測史上二番目に猛暑日の多い七月だって言うもんな」

「いやあ、北国育ちにはキツイわ」

どういうことなの……。わけが分かんないよ……。

「ほい、上がってくれ」

「お邪魔しますよ、と」

やがて、家に上がってきた二人は、居間に現れる。

「はい、どうも」

「おー、アルさん!」

この人が『アルさん』か……。ちょっと身構え、正座で、迎える私。

「んん? そちらは?」

「ああ。あれは、うちの妹の、真由美」

「ど、どうも、はじめまして……」

「こちらこそ、はじめまして。お兄さんとバンドを組むことになりました、アルベルト・グロスマンでぇ、ござい、ます」

あ、あ、アルベルト・グロスマン……。なるほど……。『アル』さんか……。って、バンド? 兄とバンド?

「あれ? 絵里ちゃんは?」

「おお、そうだ。設楽はどうした?」

「途中まで一緒だったんだけど、多分、三車線の右折ではぐれた」

「ああ。アイツ、原付だもんな」

「難儀だよねえ、二段階右折っていうのもさあ」

「アルさんの、あれ、いくつ?」

「一三〇〇cc」

「大型だ」

「そうだね」

「しかし、お前は、あれか? 車は水平対向だし、バイクは直列六気筒だし、シリンダーにこだわりでもあんのか?」

「あるか、そんなもん。どんなマニアよ」

そして、アルさんこと、アルベルト・グロスマン氏は、背負ってきた真っ黒なメッセンジャーバッグ(オルトリーブ製)から、数枚の楽譜のようなものを取り出す。

「そんでさ、この間、渡した曲なんだけど、コード進行とか、ワヤんなってなかったか」

「『ワヤ』?」

「ああ、小津くん。『ワヤ』は、北海道弁で、目茶苦茶とか、そういう意味らしいよ」

「なるほど」

「通訳要るか?」

「時々な。この間、『巻かさった』とかも、一瞬、考えた」

「そうかあ……」

すごいな。アクセント全体が北海道訛りだ。

「そんで、ちょっと書きなおして、持ってきたんだけどもさ」

「んん? ちょっと待って。元のスコア持ってくる」

部屋に戻った兄。アルさんは、難しそうな顔をして言った。

「そうか。『わや』は通じないか……」

悩んじゃった。この人、悩んじゃったよ、兄ちゃん。沙織さんがフォローを入れる。

「いいんじゃない? レベルで言うと、関西弁と同等くらいには通じるよ」

「まあねえ。でも、『投げる』とか、『おっちゃんこ』まで行っちゃうと、あれだろ?」

「『投げる』は、こう、振りかぶって……」

「ああ、やっぱダメか」

「え?」

「『投げる』は、『ゴミを捨てる』。『おっちゃんこ』は、『正座する』」

「あ、ああ……。でも、あれは知ってるよ? 『なまら』」

「『うるかす』は?」

「う、『うるかす』? ごめん。分かんない」

その時、スーパーカブの音がして、うちの前で停まる。新聞屋さんか? いや、まだお昼前だもんな……。っていうか、うち、夕刊取ってないや。

「お。来たな」

すると、ほぼ同時に気づいたであろう兄が、居間の前から、門まで直行した。

「おい、設楽」

「ああ、居た! 良かった、間違ってなかった!」

「右折でアルとはぐれたって?」

「そうなんだよ。アイツ、自分だけ、でっかいバイク乗って、スーッと行っちゃってさ」

「わはははははは」

「笑うな」

「悪い悪い。そこ、アルのバイクの後ろにでも停めといてくれ」

「はあい」

今度は、やたらと美人で背が高くてスタイルのいい女の人がやってきた。すごいな。うちの兄ちゃんが一八〇センチくらいだけど、それより、ほんの少し低いくらい。その人も、上がってきて、居間にやってきた。

「おい、アル。あたしに言う事はないか」

「おお。来たな? のろま」

「よし。歯を食いしばれ」

「わははははは! おい、いきなり暴力か。そんなことしたら、小津の妹さんが怯えるぞ?」

「んん?」

おっと。目が合った。すごいなあ。近くで見ると、驚くほど美人さんだ……。

「あ。はじめまして。えっと、設楽……、設楽絵里です」

「あ、ああ、兄がお世話になってます。妹の、真由美です」

「へえ……。妹さん、可愛いな。高校生?」

「や、あの、大学生……」

「ああ、そうなんだ。あれ? 大学……」

「大学一年」

「んん? あれ? あたしと同い年?」

設楽さんが、そういった瞬間、全員が、凍りついたように、動きを止めた。その中で、一番最初に口を開いたのは、兄、武彦だ。

「お、同い年って、設楽、お前、いくつだ?」

「十八。今年で一九」

嘘だ……。何で、あたしと同い年なのに、こんなに大人びてて、こんなに美人なの!

「ああ、でも、ああ、そうか。友里の妹なんだから……、いや、それにしたって、せめて、二十歳ぐらいだと思ったわ」

「私は、二十四、五歳だと思ってた……」

「そうかなあ。時々言われるけど……」

しかも、メイクもほとんどしてないよね……。ほぼすっぴんだ……。なのに、まつげ長いし、肌も真っ白でツルツルだし……。神様って不公平だ……。

「まあ、その話は、また今度に……。設楽も、アルの曲のスコア、受け取ったろ?」

「うん。ベースライン的には、すっと腑に落ちたから、後は、どう料理するかだけだね」

「何だ? アル。こいつのベースラインには、高速スウィープみてえな難所はねえのか」

「要所しか指定してないからな。スコアでは。ギターもそうだったろ」

「ああ、そうか……。あの高速スウィープは『要所』だったんだな」

「あれは、ちょっとした『きっかけ』みたいなもんだから。ヴォーカルのメロディーの方はどうよ?」

「そっちは納得した。あのメロディーは良い」

兄、アルさん、設楽さんは、いつまでに歌詞を当てて、いつスタジオで合わせて、とか、いかにもバンドらしい打ち合わせをしつつ、その横で、私と沙織さんは、のんびりとしている。

「じゃあ、そういうことだな」

「で、あんまりにもドラムが見つからんようなら、ひとまず、当面は、僕がドラムを叩くからさ、路上から、ライブハウスに移行する方向性で、動いてみようや」

「いいねえ」

「アル。お前、ドラム、叩けんのか?」

「デモ音源も、あれ、俺が叩いてんだぞ」

「打ち込みだと思ってた」

「あたしも」

「頑張ったのになあ……」

バンドモードから開放されたみんなは、一転、のんびりと、友達同士の雑談をくり交わす。

「いや、しかし、いいなあ、小津……。俺も、恋してえなあ……」

「すりゃあいいじゃねえかよ」

「誰と」

「聞いたぞ? お前、設楽の姉ちゃんと同級生だったんだろ?」

「ああ、そうだねえ。ただ、向こうも忙しいからなあ……」

「なるほど。姉ちゃんと恋する気は満々なわけだ?」

「ぶっ! いや、間違った! 違うわ! そそそ、そんな……!」

「分かる。分かるよ。アル。妹のあたしが言うのも何だけど、うちの姉ちゃん、美人だから」

「ほう……」

「ば、バカか! バカでないか! なまらバカだ! そ、そんなことあるわけねえべや!」

「言っちゃえよお。設楽の姉ちゃんのこと、好きなんだろぉ?」

「ばっ、バカ、お前! やめれ! そんなんと違うわ!」

音楽の話に没頭するカッコイイアルさんから、また一転、みんなに冷やかされ、顔を真っ赤にして、取り乱す、ちょっとカワイイ男子の顔になったアルさん。みんな、多分、こんなに弱ったアルさんを、見る機会がなかったのだろう。そうじゃなくとも、恋話は楽しい。これは、女子ならば共通。アルさんは、どんどん追い込まれてゆく。私達は、愉快に、どんどん紅潮の度合いを増す彼を追求する。

「素直になれば、協力してあげるのに。ねえ?」

「だよねえ?」

「いや、バカ……」

「及ばずながら、私も協力しますよ」

「真由美ちゃんまで、何言ってんのよ……」

「おうおう。俺も協力するぜえ」

「小津は、お前、冷やかしに来るだけだべや!」

「何言ってんだよ。俺ぁ、スラッシュメタル界の恋のキューピットって言われたくらいの男だぜ?」

「何だ、それ。適当なこと言うな」

「お前が告白するって時には、横で、『Nothing Else Matters』でも歌っててやるよ」

「それもどうだ。せめて、もっとロマンチックなラブソングにしてくれ。もっとあるだろ。ミスタービッグの『To Be With You』とか……」

「そっち系な」

「そうだ。って、違うわ。そもそも、何で、お前同伴で告白するの前提なのよ。おかしいでしょう」

「いやいや、みんなで行くよ?」

「来んな」

「小津くんが歌ってるところ、あたしら、ペンライトでも振りながら、サビ、ハモるわ」

「ロマンチックでしょ」

「ああ、そうだねえ、ロマンチック、って、ロマンチックじゃねえよ。二人きりにさせなさいっつってんだ」

アルさんは、ついに、自分の気持ちを否定しなくなりました。そこを指摘すると、今度は、耳まで真っ赤にして、俯いてしまう。

「認めたね?」

「いや、違……」

「認めた」

「だっ、だから……」

「ひゅーひゅー」

「いや、ばっ……!」

「ねえねえ! 絵里ちゃんのお姉さんてどんな人?」

「んとね……、ちょっと待って。写メがあったな……。ああ、あった、あった。この人」

「おお! メガネ美人!」

「何? この美人!」

「すげえ!」

「でしょ」

「アルさんは、いつから好きだったんですか?」

「や、その……」

「いつから?」

「……こ……」

「んん?」

「こ、高二くらいから……」

「え? じゃあ、何? アルが姉ちゃんに優しくしてたのって、そういう理由?」

「そっ、そうだ……」

「うおおお! 甘酢っぺえ!」

「うるせえな!」

「麦茶が甘いわあ」

「砂糖でも入ってんだ、それは!」

「お姉さんって、何してる人?」

「イラストレーター」

「フォトショップでないのか」

「アドビか。照れ隠しのボケにしては苦しいぜ。アル」

「……!」

「うふふ」

「もう、何なのよ、お前らあ!」

「まあまあ。ここまで聴いたからには、ちゃんと協力するから」

「ほ、本当かい?」

「ホントだから」

「ここまでの仕打ちをしといて、完全放置とかされたら、泣くぞ」

「泣いてるアルも見たい気がする」

「イジメだ、それは」

楽しいなあ。……アルさんいじりも楽しいけど、そうじゃなくて、やっぱり、あんなに目を輝かせてる兄ちゃんを見てるのが、楽しいなあ。

もしかしたら……、いや、これは、絶対、そうだと思うんだけど、前のバンドにいた時より、数倍楽しそうだ。あの頃は、もう少し、ギスギスして、余裕がなくて、刺々しいところがあったけど、今の兄ちゃんは、あの頃の何倍も輝いてるように見える。

拠り所も、当たりどころもなかった兄ちゃんにとって、この人たちは、本当に、大切な存在になってくれそうな気がする。

アルさん。絵里ちゃん。それから、沙織さん。ダメな兄ですけど、これからも、よろしくお願いします。